ごあいさつ
♪Diary
南米コロンビア演奏旅行を振り返って…2025年2/25〜3/8
書きたいと思いつつ、今頃、になってしまいました。
でも、書き留めておきたいので、思い出しながらしたためたいと思います。
コロンビア🇨🇴は初めて。
メキシコ🇲🇽には、1998年、日本との国交100年、という年で、
日本のメキシコ大使館の企画で演奏旅行に行ったことがありましたが…。
連弾パートナーのMiguel Sosaさんが、コロンビア生まれ、ということもあり、
彼が連弾用に編曲したコロンビア舞曲を書き、
それを一緒に弾いてほしい、というところから始まった「コロンビア」との出会い…。
これらの曲を、彼の先生や友人を通して現地のピアニストさんに弾いていただき、
沢山の学生さんも弾いてくださり、
まずは楽譜とCDが上陸しました。
編曲者のMiguel Sosaは誰?
どんな人?
と思われていたでしょう。
いろいろなチャンスが重なり、私たちがコロンビアに行くことになり、
コンサートも3回、コロンビア舞曲についての講座も決まり、現地に向かいました。
空港までは、Miguelの従兄弟と叔母さんが迎えにきてくださいました。
気候はだいたい年間を通して過ごしやすい温度ですが、
首都ボゴタ(Bogota)は標高2,500メートルぐらいの高地にあり、走ったり、
階段を急いで登ったりすると少しハアハアします。
(メキシコもそうでした)
そして、軽くコートが必要。
次に向かったメディジン(Medellin )は低い土地で、夏のように暑く、Tシャツで過ごしました。
Bogotaの大学でのコンサート
Medellinの大学でのコンサート
Teresita Gomez邸(Medellin)
新しく買ったYAMAHAのピアノがこのコンサートの何日か前に届き、
こけら落としさせていただきました。
こんな素敵な記念の盾もいただきました。
日本の藍染めで作った衣装は、とても好評でした。
東日本大震災で被災して流された高級な着物や反物を、あのヘドロのような水の中から救出し、
洗っても洗っても汚れも臭いも取れないような生地を、あまりにもそれがひどいものは
奄美で藍染に、
少しぐらいの汚れなら、演奏会に遠目に見るには問題ないと、たくさんの衣装を作ってきました。
そのリメイク衣装を「できることをできるだけプロジェクト」の、しおみえりこさんからお借りし、
日本の文化もお伝えしたかったのです。
それから、プログラムに、恥ずかしながら、私のお礼の気持の書も入れさせていただきました。
私はいつもYuko(じゅーこ)と呼ばれていました。
「Yo」はスペイン語で「私」。読み方は「ジョ」。
で、私の名前は、「くすじゃま じゅーこ」
「ゆ」って発音しにくいのですって。難しい、と言ってました。
そして、「なぜ日本人がコロンビアの曲が弾けるのか?」
と、どこの会場でも質問されました。
でも、音楽家はは行ったことのない国の曲でも弾きます。
そのために、もちろんいろいろ勉強しますが・・・
コロンビアの曲調もMiguelにいろいろ説明してもらいました。
でも、ピアニストのBlanca Uribe さんは、
「あなたはコロンビアに生まれるべきだった。
生まれるところ間違えたんじゃない?」
と何度も言ってくださって、「変な弾き方はしていないのかな?」と
ちょっとホッとしました。
左から Teresita Gomezさん、Blanca Uribe さん
コロンビアでは、とても有名で、実力派のお二人です。
このお二人の連弾で、「コロンビア舞曲」も沢山の方々に弾かれるようになりました。
また、Teresitaさんは、スペインのピアニストと コロンビア舞曲全曲を
レコーディンしたばかり、
と録音を聴かせてくださいました。
情緒豊かな演奏でした。
お二人とも、双方の国からコンタクトは取っていましたが、お会いするのは初めて。
でも、初めて会った気がしませんでした。
Medellinに着いた日はTeresita邸でアヒアコパーティでした。
アヒアコ(Ajiaco)とは、三種類のジャガイモをが崩れるぐらいに鶏肉とトウモロコシと
一緒に煮込んだスープで、
お好みで、アボカドやクリームをトッピングします。
コロンビアでは定番の家庭料理。
どこのレストランでも食べられるくらい当たり前のような料理です。
Bogotaのレストランでもいただきましたが、この日のアヒアコは本当に美味しかったです。
アボカドはとても大きく、トウモロコシは日本のように甘くないです。
メインのコンサートのことを書いてみましたが、あとはア・ラ・カルトで写真をアップします。
コロンビアは金とエメラルドが採れることで有名です。ここは金の美術館。
そして、新しい近代的な建物と歴史的な建物が存在します。
歴史的な教会
Bogotaの市場。ここで初めてマリファナの匂いを嗅ぎました。
レストランでのアヒアコ。 指揮者のEduardo夫妻と・・・
鶏肉(Polloポジョ)のお店がたくさんあります。
グリルした鶏肉はビニールの手袋をしてかぶりつきます。
国立図書館。ここに、私達が作った楽譜とCDが収められています。
Teresita Gomezさんが未使用のメキシコの衣装を
「Yukoにあげたい!!!」とくださいました。
コロンビアのネックレスと一緒に・・・
彼女はスペイン語しか話さないのだけれど、私の拙いスペイン語でも心は通じました。
Blanca Uribeさんのお宅で、Oriol Rangel(オリオル ランヘル)の
手書きの楽譜を見せていただきました。
Rangelはコロンビアでとても有名な作曲家です。
私も、彼のソロ曲を何回かコンサートで弾かせていただきましたが、
興味深い曲がたくさんあります。
Blancaさんは、英語とドイツ語を話してくださいました。
Miguelの従兄弟のこども。Felipe.
初めての日本人は珍しかったみたい。でもとても仲良しになりました。
初めて会ったとき
「はじめまして。
フェリペです。
どうぞよろしくお願いします。」
と、ドキドキしながら日本語で挨拶してくれました。かわいい!!
任天堂のゲームとか持っていて面白かったです。
あ、それから・・・・
Bogotaにある、ボテロの美術館も面白かったです。左はモナリザ(笑)
今回、言葉の壁はあっても、音楽の壁はないんだな〜、なんて思って帰ってきました。
何年か前、Miguelが、演奏できる形になっていない興味深い曲を連弾用に
アレンジし始めたとき、
そして、それを日本で出版し、CDを作ったとき、
まさか、コロンビアで演奏することは考えてもみませんでした。
それらの曲を残しておけば、
いつか、100年ぐらい経って見つけた人が弾いてくれるかな?
歴史だけ作っておこう!!
なんて思っていたのが、こんなにも早くコロンビアのピアニストさんたちが
取り上げてくださって、
学生にも弾かせたい、とたくさん楽譜も買ってくださって、
ピアノが弾けない人たちも、耳馴染みのある曲を聴いて、
キャーキャー、ヒューヒュー喜んでくださって、
とても良い交流ができました。
コロンビア音楽の交流はまだまだ続いていて、Miguelは、またさらに編曲を続けています。
言葉の壁については、Miguelの従兄弟家族や、旧友とは、
めちゃくちゃ速いスペイン語で話しているので、
いくつかの単語をキャッチすると何について話しているかはなんとなくわかりますが、
細かいことは全然わからず・・・
だんだん子守歌代わりに聞こえてきて、私の存在は枠の外なので、
よくレストランのテーブルの端っこで居眠りしてました(笑)
誰も気にしていないので気楽でしたけれど。
私の方は、なぜか、25年前に、この「くすやまホール」の名前を
Costa de la Musuca(音楽のある海岸・・・住所が中海岸なので)と
スペイン語の文法もわからずにつけていて、
コロンビアですんなりその名前が受け入れられたのも面白いです。
人生って面白いですね。
事を興すと、なにかが動き出し、歩き出すのですね?
リトルコンサート(発表会)終了
またまた、しばらくぶりになってしまいました。
書きたいことはたくさんあり、コロンビア🇨🇴に行ってきたこと、
3月末のソプラノのコンサート
書こうと思いつつ、コロンビアから帰ってきてからは、ソプラノのコンサートの練習の日々…
コンサート終わった次の日から体調崩し(悔しい‼︎)
(疲れと風邪と花粉... 咳がひどいときはお酒を飲むと悪化することを学びました ^^;)
発表会の準備もあり…
その発表会も楽しく終わりました。
幼児も大人も、プロを目指す人も、アマチュアも、
それぞれにそれぞれのストーリーがあり、
沢山のことを克服しながらこの日を迎えました。
完璧なんてあり得ません。
でも、何かに向かってベストを尽くすこと、
その時間を大切にすること、
幼児にとっては、先生との関わり方を学ぶ大切な時期でもあります。
今、自分があるのは「自分だけの頑張りじゃない、親御さん、先生、関わる人のおかげ‼︎」
と、どんな小さなことでも、いつも感謝の気持ちを持つことも忘れないように育ってほしいな、と思っています。
赤ちゃんだった子もだんだん育って行って、だんだん頼りになり、いろいろ手伝ってくれる子も多くなり、頼もしいです。
それから、嬉しかったこと・・・
卒業して音楽方面に行った子が戻ってきて演奏してくれたこと、
しばらくお休みなさっていた方が何人も聴きにいらしてくださったこと。
普段お会いできなくても、レッスンにいらっしゃらなくても、
こうやって音楽を通じて繋がっていられることの幸せを感じました。
さて、来年も生徒のみなさんが、拙いながらも自分に挑戦していく姿を見るのが楽しみです。
何もしなければ、何も残らないけれど、
何か行動を起こせば、何かが生まれるのですよね。
失敗とか、成功とか、試験ではないので関係ありません。
自分とどう向き合っていかれるか、です。
私も、どんどん歳を取ります。
でも、「歳」じゃないんだよな〜〜!!
なんて思ったりします。。。
渡航前のコンサート
2/2コンサート終了。
長丁場のプログラムでしたが、みなさま一生懸命に聴いてくださって感謝です。
シューベルトは、31歳の若さでこの世を去っていますが、沢山の連弾曲があります。
日本で有名な曲は「軍隊行進曲」と「ファンタジー」ぐらいですが…
4本の手を弦楽四重奏のように巧みに編み込んでいく作風はとても好きです。
今回の曲は、未完成だったものを何人かの手によって、演奏できる形態にされたもので、可愛らしいテーマは引き込まれます。
モシュコフキーは、「異国から」の題名のとおり、ロシア、ドイツ、スペイン、ポーランド、イタリア、ハンガリーの6曲からできていて、それぞれのお国の特徴が出ています。
演奏後、あれがよかった、これが面白かった、なんていうお話も聞けて嬉しかっです。
前半最後、日本人にとっては中田喜直「日本の四季」は好評でした。ちょこちょこ顔を出す、誰もが知っている曲。こういう歌たちがなくなってほしくないですね。
そして、このプログラムとこの衣装で今月末から@コロンビアで演奏してきます。この衣装は、立川のLaLaLaからお借りしました。 2021年の東日本大震災で被災した石巻の呉服屋さんから譲り受けたもので、流されて売り物にならなくなった高級な沢山の着物や反物などをなんとか生かしたくてリメイクして作られたものです。
そして、汚れを目立たなくするため、藍染めをしたら、帯の錦糸がこんなに綺麗に現れました。
あと、能登の地震で被災した着物のリメイク衣装も持っていこうと思います。
あまり知られていない日本の文化を知っていただきたいと思っています。
コロンビアでは、今、私たちが行くことを楽しみにしていてくださっていて、沢山の準備をしてくださっています。ありがたいです‼︎
連弾 シューベルト ロンド ニ長調
連弾には欠かせないシューベルトの曲。
今、勉強しているのは、いままでも何度かコンサートでも弾いた「ロンドop.138, D608」
とても愛らしい曲です。
今までは、ヘンレ版で勉強していました。
ドイツものといえば、「原典版ヘンレ」と半ば決まっているようなもので、まずは信用して手に入れます。
もちろん、昔からある多くの作曲家が出版したベーレンライター、ブライトコブフも信頼のできる楽譜出版社ですが…
この度、イングリット ヘブラーさんのCDを聴いていたら、長さも音も違う。
デムス、スコダの連弾も…
ミゲルの先生たちのCDも…
この三者はほぼ同じ出版社らしい。
そこからその楽譜の謎を解くために、あちこち調べ…
シューベルトの初版らしいものを見つけました。
うゎ、CDと同じ…
なぜ、こんなに違うのか…
この曲は、まず、生徒さんのために書いたもので、その時は出版していなかったらしい。
そして、そのあと出版するために手を入れて、ブリリアントな音形や構成を考え直したのかもしれません。
ヘンレ版は、シューベルトの死後に遺作のような形で出版しているので、
もしかしたら、最初のバージョンが発見されて、それを原典版という形で出版したのかも…
などと探偵のようにミステリーを楽しんでいます。
ちなみに初版は、ウィーンのアントン ディアベリ社のようです。
ブライトコブフもほぼ同じ楽譜でした。
今まで、ヘンレ版で弾いていたので、編集されている部分、カットされている部分にビックリしながらも、今までとひと味もふた味も違う、しかも初版で弾けることを楽しんでいます。
大人も子供も仲良し
先日のトリオの研究会もあるけれど、
うちの生徒たちはみんな仲が良い。
コミュニケーションがあるというのかな?
以前から、大人同士で連弾を組んだり、
など、それぞれに個人的にも良い友達となっている。
長い生徒は、もう35年ぐらい家族ぐるみで良い関係を保っている。
最近の仲良し大人たちは「勉強会」なるものをそれぞれのお家を順番に会場にしながら、お茶とお話に花を咲かせているようです。
ピアノも、それぞれ、一応、練習して聴き合って連弾も楽しんでいるみたいです。
子供達も、先日のトリオの後は、
レッスンではお互いモジモジしているのに、
その日の帰りには、もう公園で遊ぶ約束をし、
別のグループも、そこの公園に行ったため、5人ぐらいでかくれんぼをした…とか。
個人レッスンですが、横のつながりがあり、
お互い、なんとなくピアノを通して良い関係を築いている…。
先生にとってはメチャクチャ嬉しいです。
この間は、3歳になりたての子が「イヤイヤ期」らしく、そのあと来た三年生のお姉さんが折り紙や音符の塗り絵を一緒にやってくれたことで、意識がちょっと変わったかな?
楽器の習得は、時間がかかるし、楽しいばかりではないけれど、
励まし合いながら、大変なのは私だけじゃない、
と思いながら、長く音楽と友達でいてほしいな…
というのが願いです。